「タウンマネージャーが商店街でショップをはじめたら」

toyamagu.com

日本全国の中心市街地活性化と商店街活性化を、
富山を通して語る、考える、変えてみる。

2000年からのトヤマグの歴史

トヤマグは、民間の地域ポータルサイトです。
公的資金による運営費は捻出されておらず、
私が代表をつとめる弊社の事業の一環として継続されています。
一時期、理解ある企業や組合にクライアントになっていただいたほか、
現在まで商店街のショップの広告費によって運営費をまかなっています。
このサイトを運営しながら、私はタウンマネージメントの知識を身につけていきました。
ほぼ実戦の中での、リアルなタウンマネージメントです。

完全民間のおかげで民間というポジションを堅持できたため、
発言や検証、コンテンツ制作はつねに自由でした。
情報サイトであるため、各商店や商店街、行政情報を発信しながら、
且つ市民の声や私の提言や検証結果などをダイレクトに掲載。
そのためさまざまな「摩擦」を経験しています。

私は、いわゆる商店街活性化に必要とされる人材
「よそ者」「若者」「バカ者」というポジションでした。
皆さんが想像されるよりも、活動は過酷です。
ときには闇の部分を解説するジャーナリズムな視点も必要でした。
批判も賞賛もありますし、実際に圧力もかかりました。
生活基盤を郊外から中心部に住まいを移転し、車を保有せずに、歩く生活を実行。
最終的には、自分で商店街にショップをオープンさせてみました。
自分で多くの投資を行い、のめり込みすぎて損益を出したこともあります。

よって生半可な商店街活性化関係の意見を聞いても、
どうしてもこれでは結果が出ないと判断してしまいます。

以下のトヤマグの歴史は、リアルです。
今までのトヤマグで未発表のエピソードがあります。
リアルなゆえに、たくましい理論が想定されたとお考えください。

[創成期]

2000年/富山市中心商店街の情報サイト誕生
2001年/富山駅前CiC販促担当開始

トヤマグの誕生は、友人のIT企業社長からの依頼でした。
あるポータルサイトの富山市中心部版の運営をまかされました。
それが初期のトヤマグとなります。まだ、企業のIT化も、
商店街や商店のホームページもない時代。
とにかくサイト内にマップをつくり、数百店にも及ぶ店を取材。
各店の新着情報をアップ。お客様に利用してもらったことが原点です。
その一年後、トヤマグの活動をめずらしがられて、
富山駅前にあるファッションビルCiCから広告企画制作の依頼がありました。
当時弊社は広告デザイン会社でありました。
とはいえ独立したてで、経験も実力もとぼしいプロダクションでしたので、
年間5000万円近くにおよぶ予算の、ファッションビルの販促は
かなり身の丈を超えた業務。さまざまな経験を積ませていただき感謝です。
CiCはいゆわる中心部の再開発ビルです。
長らくは繁栄を誇ってきましたが、2002年には民事再生がかかりました。
再開発ビルの栄光と挫折を間近で体験したことになります。
その後の復活もお手伝いさせていただきました。
商店街の情報サイトの開設により、多くの店舗から意見を聞けました。
再開発ビルの運営と繁栄をノウハウとさせていただきました。
まだ若かったゆえに乗り越えられたチャンスだったと思います。
この期間で、再開発至上主義の中心市街地の活性化についてかなりの興味を抱きました。

[最盛期]

2004年/富山市中央通りにコムクレープ本店オープン
2004年/振興組合総曲輪通り商盛会と契約
2004年/富山駅前CiCリニューアル販促実施
2004年/経産省登録のタウンマネージャーへ
2004年/経産省から総曲輪通りにタウンマネージャー派遣
2005年/コムクレープ2周年でクレープブリュレ誕生
2005年/TMOと駐車場無料デーを実施

この期間が、トヤマグとしての最盛期です。
開設から3年間の、商店街情報発信の地道な活動と熱意がみとめられたほか、
CiCでの経験を買われ、いよいよ商店街組合とのおつきあいが始まります。
CiCは民事再生から立ち直りリニューアル。
莫大な販促予算をまかせられ、リニュアールオープンに貢献させていただきました。
富山市の二大商店街のひとつ中央通りには、ショップをオープンさせて商店街の一員に。
総曲輪通りとは、販促担当とタウンマネージャーとして契約。
若手の販促委員会とは商店街内でフォトコンプロジェクトを実施。
中堅の計画委員会とはクレームから商店街の未来を考える会議を定期開催。
執行部からは、中心市街地の駐車場無料化プロジェクトをまかされました。
結果、商店街と百貨店とTMOと駐車場を連携させて開催を実現。
10の駐車場を無料化に成功し、
2日間で通行量、駐車台数、売上を150%アップさせ、
億単位の経済効果を生みました。
この2年間が、私がタウンマネージャーとして
富山でもっとも活躍できた時期です。

[転換期]

2005年/協同組合中央通り商栄会からの圧力

商店街の一員となり、タウンマネージャーとしての経験を積み始めた矢先に、
出る杭は打たれました。大成功だった駐車場無料デー。
ある日事務局だったTMOに呼ばれ、参加商店街のひとつ中央通りから、
今後の駐車場無料デーからタウンマネージャーを外せと電話があったと申告。
自分が所属する商店街からの圧力でした。
理由は「商店街活動に参加しない店が事業にかかわることは許さない」でした。
ある割引事業に、自社クーポンがあるため参加を見送ったその一点。
それ以外は参加していました。しかも、店がありながら組合員になれないとも通告。
完全なる言いがかり状態。この理由でその後駐車場無料デーには参加できず。
どれだけタウンマネージメント実績をつくっても、
「よそ者」「若者」「バカ者」は嫌われるという典型です。

[挫折期]

2005年/富山県ブランドプロジェクト委員選出
2007年/富山大和出店計画が白紙
2007年/金沢5タウンズへの挑戦
2008年/NTTドコモシンポジウムで発表
2009年/日本テレビ契約でコムクレープが全国へ
2011年/フランチャイズ詐欺被害
2012年/TMOと森雅志市長と裁判
2013年/富山市議会議員選挙に挑戦せず

その後、地元のあらゆる商店街活性化事業から外されることになります。
このあたりから、商店街より、商店や商品ブランドに重きをおきました。
そして、私の迷走が始まります。
富山県のブランドプロジェクトは一般公募に応募して採用されました。
商店街としての地域ブランドを独自に構築したかったのですが、
そのプロジェクト内容に愕然。知事公約用のみせかけのプロジェクトでした。
富山市の唯一の百貨店である富山大和の移転に際して、
コムクレープの出店要請がありましたが、消極的にチャンスを逃します。
富山で実現できてなかった、情報サイトでの商店街活性化を、
金沢市5タウンズに提案するも、富山での実績を求められフェイドアウト。
独自の活性化理論をNTTドコモのシンポジウムで発表。
その目新しさに賛同は多かったが、テーマが一般的ではなく深い理解は得られませんでした。
日本テレビと契約し、コムクレープは全国の百貨店催事に参加することで、
地域ブランド事業を試みることに。富山を離れることが増えました。
FC拡大に焦り、まんまと詐欺にあい、大きな損益を出してしまいました。
駐車場無料デーの証言に、中央通りとTMOに食い違いがあり、
提訴して決着を図る。被告人はTMO社長つまり富山市副市長。
事実上訴訟相手は森雅志富山市長。この方には相当嫌われている模様です。
最終的には金銭による和解を求めてきましたが、
それを蹴って判決へ。結果、弊社の主張は認められませんでした。
タウンマネージャー議員のコンセプトのもと、
自ら市議に立候補することを考え、選管までいくも、4年間熟慮した結果は不出馬。
それ以外にも、多くの空回りをした8年間だったと思います。

[発展期]

2013年/渋谷ヒカリエ催事出店
2014年/イオンにライセンス店オープン
2016年/コムクレープ原宿店オープン
2016年/トヤマグリニューアルへ
2016年/新中心商店街論の策定

多くの失敗、そして裁判、詐欺、出馬想定を経験してみて、
残ったものは何もありませんでした。
ただ体制を批判したいだけの私がそこにいました。
あれだけ活性化を実現したかった商店街も、
ほとんどの店は移転するか閉店するかでシャッター通りに。
自分の店も、売上が減少し、全国の百貨店催事での販売が好調に。
全国で売れても、富山では売れないという状況が続きました。
論文制作もすすみません。つまり活性化策はまったくカタチにならない。
タウンマネージャーらしい事業参画はほとんどできず、
どうしようもない閉塞感の中で、考えたことがあります。
地域の活性化は担当できなくても、
自分の商売の活性化は、オーナーとして自由にできる。
今まで培ってきたノウハウのすべてを、自分の店だけに利用する。
これで結果が出なかったら、辞めてしまおうと決意。
新しい挑戦が始まります。

渋谷ヒカリエ誕生2年目に、コムクレープ誘致の案内がありました。
催事ではなく常設です。まずは催事からの出店という契約になり、
その後、4回出店しています。今まで東京を意識したことはなかったのですが、
この渋谷ヒカリエとの接触から、コムクレープ東京を考えはじめます。
そして、待望のライセンス店が誕生。屋号はコムクレープではないですが、
イオンで自社商品ブランドを販売。ある企業と、ノウハウなどの提供契約を締結。
ありえない個数のクレープが販売されました。大きな自信です。
2016年7月1日。16年前にトヤマグが生まれたこの日に、
コムクレープは日本のクレープ激戦区な原宿に出店。
見事、10時間行列の人気店になりました。

今まで培ってきたノウハウのすべてを、自分の店だけに利用する。
これを実践した結果、3年目で結果を出したことになります。
のちに発表する私の商店街活性化理論「新中心商店街論」をベースに、
3つの柱である
1)中心市街地活性化三分の計
2)商店街活性化指標iモールトレンド
3)商店街景観整備ストリートリノベーション
を自社の活性化に使っただけです。
もちろん、他社にはないスイーツブランドとなれた商品力、
8年間全国の百貨店で販売してきたマーケティングとノウハウと実績、
富山で13年間のべ20万人に販売してきた実績、
それらすべてが良い方向にいったのですが、
本来商店街全体に使うべきものを、一商店に使っただけです。

16年間かかっていきついた場所は、
国の商店街活性化の対論であり、シンプルなそもそも論でした。
「商店街のそれぞれの店が、客数を増やし、売上をあげれば良い」
そして、これが可能なことを証明してみせたわけです。
富山の中心商店街をご存知の方ならわかると思います。
LRTによるインフラ整備とこぎれいな再開発はすすんでいます。
しかし、商店は減っています。特に物販店です。
通行している人は増えていません。いても高齢者ばかり。
コンパクトシティならぬ高齢者シティの様相です。
クレープ店が繁盛する要素など、どこにもありません。
そこで、当店前だけに人がいるという状況をつくりだしてみました。
おかげで自社の収益もあがり、一石二鳥です。
あらゆる調査や投資は、自社で負担しています。そして回収しています。
公的資金がないと、商店街活性化はできないという神話も崩れました。

コムクレープは原宿店を皮切りに,都内への進出を加速させます。
コムクレープ東京と名付け、富山ブランドを都内で浸透させ、
東京五輪にあわせて世界に発信する。そんな夢を描いています。

行政、政治、組合にと、合意形成に時間がかかり、
たとえ事業で実績をあげても評価されない商店街活性化。
正直にいえば、ここまで来れたのは私の執念のなにものでありません。
今思えば迷走していた時期も、私には必要だったような気がします。
また、少なからずとも私の行動や考え方を、ずっと応援してくれる人、
支援してくれる人がいてくれました。本当に感謝です。

当然ながら、これがゴールではなく、
この実績と実証をどこかの商店街で実践しないといけません。
それは、私ではなく、その地元の皆さんです。
こう考えれば商店街は活性化するという理論と、
こう行動したら商店街は活性化するという方法と、
こうまとめたら中心市街地内の商店街に
「経済の拡大再生産」は起こるという準備は整えました。

私はこう思っています。
「売れたら神で売れなければカス」。
商売の世界はきびしいです。
商売の集積である商店街は、もっと厳しい世界です。
売上のある人が、商店街で最も尊敬されていいのだと思っています。

私に売上がなくなったら、私の理論もすべてパーです。
この歴史にも終止符が打たれます。

そうならないよう、今日も商売に精進しています。
継続こそ経営なのです。