「タウンマネージャーが商店街でショップをはじめたら」

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日本全国の中心市街地活性化と商店街活性化を、
富山を通して語る、考える、変えてみる。

とっちらかってきたのでまとめます。タウンマネージャーの私がしてきたこと。その③

カテゴリー:タウンマネージャーが考える日本再生とは。

さて。
まとめの続きです。
4回シリーズなのでトップの写真は同じと思ったのですが
飽きましたので、
クルーニーの写真です。
説明はのちほど。

今回は、私がタウンマネージャーとしてやってきた軌跡と。
①コムクレープ
②クレープブリュレ
③クレーピエ
④道州制

の③クレーピエです。

③クレーピエ

私はクレーピエの自分をとても大切にしています。
「ただのクレープ屋のおじさん」と考えるか?
「天才クレーピエ」と考えるか?
それで可能性が大きく変わりました。

「ただのクレープ屋のおじさん」と考えていたら今の私はないです。

クレーピエという言葉は私が作ったものではありません。
クレーピエというのは造語らしいです。
ケーキ職人をパティシエ、チョコ職人をショコラティエ、
クレープ職人をクレーピエと呼びます。

クレーピエは、12年のキャリアとなりました。

前職コピーライターが22歳~42歳ぐらいまでが
コピーライティングの依頼を受けていた現役時代で、
プロとして20年ぐらいのキャリア。

タウンマネージャーがトヤマグ立ち上げか30歳で、
35歳ぐらいで経産省認定、
最後の名古屋での講師依頼までが現役となると
プロとして18年ぐらいのキャリアとなります。

クレーピエのキャリアはそれに迫ろうとしています。
また、私の業務で最も収益が高かったのも
クレーピエです。

私は平気でクレープを作るという点では天才です。
と、自称します。

先日、ある取引先から
「ご自分でご自身の事を天才とおっしゃっる方、私も45年生きてきて初めてでした」
とディスられましたが(笑、
そんなことは覚悟の上。

日本で、クレーピエと名前と写真を公開しているのは私だけです。
クレーピエなんて名乗る人すらなかなかいません。

クレープはスイーツの世界では、
下の下のポジション。
日本では200億円~300億円ぐらいの規模と言われています。
有名パティスリーではクレープは売っていません。
ミルクレープぐらい。
紙に巻くクレープは
高級スイーツから見れば下の下。
下手すると「粉もん」と呼ばれ、
女子高生のアルバイトが可愛い制服で売るもの。
学校の文化祭で食べるもの。
祭りの屋台で年に一回食べるもの。

クレープとは世の中ではこんな扱いが一般的です。

これを変えたのは私です。

それに絶対的な自信を持っています。

「たかがクレープの壁」というものがあると思っています。

日本のほとんどのクレープ関係者は、
この壁を超えていません。
超える必要もないのかもしれません。
私はある時期から意識して、超えることができました。

クレープをデパ地下で販売した経験からです。
冷凍コムクレープを発明したぐらいの時期からです。

まず販売方法。

私は、おそらくもう二度と皆さんの前でクレープを作ることはありません。
いわゆる実演で、お客様の目の前で生地を焼き、
クリームと具材を入れて巻く。
もちろんクレープの作り方の基本ですが、
私は、冷凍もしくは冷蔵でクレープを販売しています。
私のクレープはショーケースに陳列して販売するか、

このオンライン本店
コムクレープCKTのみでの販売となります。
たかがクレープがショーケースで販売できる、
冷凍でオンラインで販売できる。
巻きクレープの常識を変えました。

次に、客単価です。

ショーケース販売は主に百貨店。デパ地下です。
これは現在、百貨店買取のみです。
私の商品は、有名百貨店に85掛けで1,000湖~2,000個の買取で取引されています。
これはどれぐらい驚異的なことかといえば、
百貨店がこの掛け率で1,000個以上で買うことは、
日本のトップスイーツと思ってください。
法人客単価は当初100万円を超えていました。

私のメインのオンライン販売では、
客単価の平均が6,500円です。
普通のクレープ屋さんは毎月2のつく日はクレープの日、
などと掲げて290円で販売しています。

私が直轄するコムクレープCKTでは、
主力商品はセットです。
送料無料サービスも相まって、
これだけの単価で購入いただいています。

そして、弊社クレープブリュレの地域ブランド化です。

たかがクレープと考えていたら、
申請することさえおこがましいであろう、
富山県へのブランド申請。
2017年に一度の落選を経て、
明日のとやまブランドに認定されました。
2020年に昇格的なポジションの
富山県推奨とやまブランドに挑戦。
明日のとやまブランド同様に最初の挑戦は落選。
また、いずれ挑戦する時がくるだろう。

正直、地域ブランドに認定されても売上には影響はない。
名誉なことだが、権威はない。
いわゆるたかがクレープを、
誕生した地域で地道に県民食にまで高めた結果だ。
そして、商店街活性化を目的として誕生した歴史に、
政策性と公共性があるからだ。

この3つが、
たかがクレープの壁を越えた根拠である。
この3つの実績はクレーピエという自覚がなければ存在しない。
いや、存在はできるが認知されない。

ツイッターなどに
よくよく書かれる「コムクレープは美味しい」という話。
その昔は自分で作っておきながら、
なぜこんなに美味しいと書かれるのか疑問があった。
自分の「単なるクレープ屋のおじさん」状態だった。
そこには自分のクレーピエとしての
進化があったと認めなければ、
今の自分はない。

2016年から、弊社のパクリが全国に広がり、
ものの見事に消えていった。

逆に真似しなければいけない立場の人がいる。
この壁を超えいないといけないのでしょう。

富山県から出現したクレーピエという存在。
商店街活性化という政策を
スイーツに昇華させたクレーピエという存在。
地域ブランドまで発展させたクレーピエという存在。

これを強く自分で認めることにしたわけです。

私の地方での業務は終了しました。

コムクレープFC展開も次の展開に入りました。

クレープブリュレは日本のクレープブランドとしての
新しい歴史を作りました。

そして、クレーピエ。
やはり世界へ!なんて途方もない目標を考えると、
富山県では通用しない。

℃KT crepier keihasegawa tokyo

というブランドを立ち上げました。

トップの写真「クルーニー」は7年ぐらいあたためている新メニューです。
私のメニュー開発は時間がかかります。
みなさんが追っているクレープの形ではありません。
ただ、みなさんが食べたがっているクレープのかたちかもしれません。

私に食材を生地で巻けばクレープという発想はありません。

残りの人生でクレープブリュレを超える事ができるか?勝負です。

富山県は、富山の中心商店街は、こういう才能を輩出しました。

ちなみに私が18歳の時に
この能力に気づいた大人は周りにいませんでした。
自分でもいつかクレーピエになりたいと思ったことはありません。
大人になってからの努力や、経験や、開花です。
がんばれ、18歳。これからは自分のちからで。

「ただのクレープ屋のおじさん」と考えていたら、
もしもタウンマネージャー として
富山市の商店街活性化が成功していたら、
今の私はなかったです。

私が直轄する
コムクレープCKT
℃KT crepier keihasegawa tokyoは
こちらです。
https://www.comcrepe.shop

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